意思決定の質
社員が辞める本当の理由は経営者に届いていない
「家庭の事情で」「体調を崩して」。
退職の申し出を受けたとき、そう説明されることは多いはずです。引き止めようとして、時短勤務や配置転換を提案したこともあるかもしれません。
それでも決意は変わらない。そういう場面に心当たりがあるなら、聞かされた理由は本当の理由ではなかった可能性があります。
この記事では、なぜ本音が語られないのか、その構造と、本当の理由に近づく方法を解説します。
退職者の多くは本音を伝えずに辞めていく
まず、どれくらいの人が本当の理由を隠しているのかを確認してみます。この差は想像以上に大きいものです。
エン・ジャパンが2024年に退職経験者4,658人に行った調査では、54%が「会社に伝えた理由とは別に、本当の退職理由があった」と答えています。
スマートキャンプが2026年に1,087人に行った調査でも、同じ傾向が確認できます。伝えた理由と本音では、内容が明確にずれていました。
- 会社に伝えた理由(建前)
- 人間関係への不満26.4%、給与・待遇・人事評価への不満25.1%、体調不良23.0%。体調や家庭の事情といった、追及されにくい理由が上位に入ります。
- 本当の理由(本音)
- 給与・待遇・人事評価への不満37.1%、人間関係への不満35.3%、労働時間・休日への不満25.8%。不満を理由とする割合が、いずれも10ポイント前後高くなります。
同じ人が答えているのに、この差が出ます。つまり退職面談で集めた情報は、そのままでは実態を表していません。
なぜ本音は語られないのか
隠されるのは、社員に問題があるからではありません。本音を言わないほうが合理的だからです。
辞めると決めた人に議論する動機はない
退職を切り出す時点で、その人はすでに決めています。
そこで人間関係の問題を正直に話せばどうなるか。詳しい説明を求められ、考えすぎではないかと言われ、相手にも事情があると諭される。
辞めると決めた人にとって、その時間はただ面倒なだけです。当たり障りのない理由を選ぶほうが、早く穏便に終わります。
最後に波風を立てたくない
辞めるとはいえ、それまで世話になった人たちです。
思うところがあっても、最後に砂をかけるようなことはしたくない。この感情は、多くの人が自然に持つものです。
結果として、誰も傷つけない理由が選ばれます。家庭の事情や体調は、その意味で都合のよい説明になります。
理解されないと諦めている
エン・ジャパンの調査では、本音を伝えなかった理由として「話しても理解してもらえないと思ったから」が46%でいちばん多く挙がっています。
これは、その場で急に生まれた判断ではありません。それまでの積み重ねから導かれた予測です。
つまり本音が語られない時点で、すでに関係は終わっています。退職面談は、結果が出たあとの答え合わせのようなものです。
本音は上司の報告で消える
さらに厄介なことがあります。仮に本音が語られたとしても、それが経営者まで届くとは限りません。
退職の申し出を受けるのは、多くの場合は直属の上司です。そして人間関係が理由なら、その上司自身が当事者であることも少なくありません。
当事者が報告を書けば、内容は自然と角が取れます。悪意がなくても、自分の立場を守る方向に情報は整えられます。
こうして、経営者の手元には「家庭の事情による退職」という一行だけが残ります。
経営者は、組織のなかでいちばん情報から遠い場所で、人と組織の判断を下しています。
この構造については、「社長の指示は、なぜ現場でねじれるのか」でも詳しく解説しています。
私が実際に見たある退職
私自身が勤める会社でも、これに当てはまる例がありました。
ある社員が、家庭の事情を理由に退職しました。会社側は引き止めようとして、勤務日数を減らす案や時短勤務を提案しています。
しかし本人は辞めていきました。提案が的外れだったからです。
後になって分かった本当の理由は、チーム内の人間関係でした。加えて、担当していた業務にも思うところがあったようです。
その社員とは、それなりに会話もしていました。それでも私のところにも本当の理由は届いていません。
引き止めの失敗は、条件が悪かったからではありません。解こうとした問題が、そもそも違っていました。
本音が出る空気は経営者が作る
では、どうすれば本音が出るのか。
前提として、ここでなら言っても大丈夫だと思える空気がなければ、人は本音を言いません。
パワハラやセクハラがある職場は論外です。逆らえば居場所がなくなる環境で、本音が出るはずがありません。
厄介なのは、悪気のない「正論の押しつけ」も同じように本音を封じることです。
どれだけ正しいことを言っても、この人は信頼できると思えなければ、本音は出てきません。
部下の異論を生意気だと受け取る人が一人でもいれば、そのチームの空気は変わります。そういう人を組織から完全になくすのは、現実的ではありません。
だからこそ、経営者の側に覚悟が要ります。
聞いた本音を外に漏らさないこと。頭ごなしに否定しないこと。
この人になら言っても大丈夫だ。そう思われて、はじめて本音は少しずつ出てきます。
面談の場を設けても当たり障りのない話で終わる理由は、1on1が形骸化する構造として解説しています。
本当の理由に近づくために
退職面談で本音を引き出すのは、現実にはほぼ不可能です。タイミングが遅すぎるからです。
できることは3つあります。いずれも、辞める前に手を打つという考え方に立っています。
- 1
辞める直前に聞かない
退職を決めた人からは本音は出ません。在籍中に、評価と切り離した場で定期的に話を聞く機会を持ちます。ここでしか予兆は拾えません。
- 2
直属の上司以外が聞く
人間関係が理由なら、上司は当事者になりえます。報告のラインとは別に、利害のない相手が聞く経路を用意しておきます。
- 3
不満ではなく、事実を聞く
「何か不満はあるか」では何も出てきません。この1か月でいちばん時間を取られたこと、やりにくかった場面。事実を尋ねるほうが、実態に近づけます。
そしていちばん大切なのは、辞めた後の分析です。
表向きの理由をそのまま記録に残せば、データは実態から離れていきます。数年分積み上げても、そこから学べることはありません。
まとめ:見えている理由を疑えるか
要点を整理します。
- 1
半数以上が本音を伝えていない
建前では体調や家庭の事情が上位に来ますが、本音では待遇や人間関係の不満が大きく増えます。面談の記録は実態を表していません。
- 2
語られないのは、合理的だから
辞めると決めた人に議論する動機はなく、最後に波風も立てたくありません。そして理解されないと予測しています。
- 3
本音は中間でも削られる
報告するのは当事者かもしれない上司です。経営者の手元には、整えられた一行だけが残ります。
人が辞めるたびに、経営者は理由を受け取ります。しかしその理由が正しいとは限りません。
そして誤った理由に基づいて手を打てば、対策は空振りし、離職は止まらないまま続きます。
いま手元にある退職理由は、本当にそれでしょうか。その一点を疑えるかどうかが、組織の判断の質を分けます。

