意思決定の質
サンクコストとは|取り戻せない費用が次の判断を歪めていく
「サンクコスト」
事業に関わる人であれば、一度は聞いたことのある言葉だと思います。すでに支払ってしまい、もう取り戻せない費用のことです。
「埋没費用」とも呼ばれます。理屈のうえでは、これから何を選んでも取り戻せない以上、次の判断材料にはしないのが正しい選択です。
ところが実際には、投じた額が大きいほどサンクコストを気にしてしまい、やめられなくなるのです。
この記事では、サンクコストの意味の解説。そして、サンクコストが経営判断にどう影響するのか、どうすれば影響を減らせるのかまで解説します。
経営に関わる人にとって他人事ではありませんので、ぜひ最後まで読み進めてください。
サンクコストの意味
サンクコスト(sunk cost)の直訳は「沈んだ費用」です。日本語では埋没費用と訳されます。
サンクコストかどうかを見分けるポイントは、これからの選択で変えられるかどうかにあります。
- サンクコスト(埋没費用)
- すでに支払い、これから何を選んでも回収できない費用。判断の材料にしないのが原則です。
- 機会費用
- ある選択をしたことで、得られなくなる利益。これから発生するものなので、判断の材料に入れる。
この2つはよく混同されますが、意味が全然違います。
サンクコストは過去にあり、もう取り返すことのできないものです。機会費用は未来にあり、選び方次第で利益を得られるチャンスがあります。
判断のときに考えるべきなのは、機会費用なのです。
サンクコスト効果とコンコルドの誤謬
取り戻せないと分かっているのに、投じた額に引きずられて続けてしまう。この傾向をサンクコスト効果と呼びます。
別名が「コンコルドの誤謬(ごびゅう)」です。英仏が共同開発した超音速旅客機コンコルドが、その由来になっています。
採算が合わないことは開発の途中で分かっていました。それでも両国は、国家の威信を理由に開発を続行。就航後も商業的には失敗し、2003年に全機が退役しています。
行動科学の分野では、この現象はサンクコスト効果、あるいはコンコルド効果として研究されてきました。
投じた額が大きいほどやめられなくなる
この傾向を示した有名な研究があります。
心理学者のアークスとブルーマーが1985年に発表した研究では、大学の劇場でシーズンチケットの価格を無作為に変えました。
定価で買った人、少し割引で買った人、大きく割引で買った人。チケットの中身は同じです。
その後の半年で、定価で買った人は割引で買った人より、およそ25%多く公演に足を運びました。
同じ席なのに、高く払った人ほど通う。判断を動かしたのは、公演の価値ではなく支払った額でした。
払った額は、もう戻りません。それでも人は、その額に見合うだけ使わなければ損だと感じます。この感覚は誰にでもあるものです。
では、これが経営判断に入り込むと何が起きるのでしょうか。
経営で起きるサンクコストの例
経営の場では、サンクコストは次のような形で現れます。
実際に、私がいた会社でも起こっていたことです。つまり、どの会社でも起こる可能性があります。
サンクコストの金額の大小ではなく「このまま続けて本当に取り戻せるか」と問いかけながら読んでみてください。
新規事業への追加投資
新規事業を立ち上げる際には、多額の投資が必要になるケースがあります。
私が所属している会社でも、新規事業を立ち上げている部署があります。立ち上げから4年。投じた開発費と人件費が膨れ上がっています。
客観的に見ていると、事業そのものが構造的に破綻しています。
顧客獲得コストと、顧客が支払ってくれる利益を天秤にかけたときに利益が低い。改善できる方法もなく、どうみても黒字化の見込みは薄い状況です。
本来であれば撤退するべきですが、事業を指揮している人からすると、後には引けません。そこで「あと半年」と追加の予算をつけてしまう。
この判断を動かしているのは「利益が出せる」という期待ではありません。サンクコストの影響で「ここまでやったのに」という感情で判断してしまうのです。
使われていないシステム
多額をかけて導入したのに、現場が使っていないシステムが日本中に溢れています。
なんでこんなものを作ったんだろうと心底不思議になるようなシステムに対して、それでも保守費を払い続け、費用を垂れ流し続ける。
そんな冗談のようなことが、私が所属している会社だけではなく、実際に日本中の企業で起こっています。
現場の声を聞かずに、上層部が良かれと思って導入したシステムが機能しないことは多々あります。
しかし、投じた費用が大きいと「やめる」という決断が下せないものです。結果、使われないシステムに多額の保守費を払い続けることになります。
導入費はもう戻りません。考えるべきなのは、これから払う保守費と研修の時間に見合う効果があるかどうかです。
経営のサンクコストは想像以上に重い
個人の買い物なら、損をするのは自分だけです。
しかし、経営におけるサンクコストは、想像以上に重たいものです。
その視点を3つの理由から解説します。
桁が違う
前提として、経営におけるサンクコストは「桁」が違います。
設備、システム、人員、数年分の開発期間。投じる費用は、個人での買い物とは別次元です。
数万円、数十万円という話ではありません。数千万円、数億円、下手をすると数十億、数百億円という桁になります。
他に転用できない形になっている
経営でサンクコストが膨らむのは、設備や人員、仕組みがほかに転用できないことが多いからです。
たとえば、専用の設備や作り込んだ仕組みは、その事業でしか使用できないことが多くあります。
もし、それらで利益を出せなかった場合、回収できない費用として利益を圧迫し続けることになります。
利害関係者が多い
個人の判断と大きく違うのが、この点です。企業が新しい取り組みを始める際、自社だけに留まらず、さまざまな利害関係者が生まれます。
その事業を立ち上げた人、チームメンバー、外部の協力会社など。やめる決断は非常に大きな波紋を呼びます。自社のメンツを保つために、撤退の判断が難しくなるケースもあります。
さらに、やめる決断は関わっている人たちの努力を否定するようにも見えてしまいます。
結果、企業が推進する大規模事業であるほど、サンクコストが膨らんでしまうことになるのです。
なぜ「無視すればいい」では解決しないのか
サンクコストの対策としてよく言われるのが「過去の投資は無視して、これからの損益だけで判断しましょう」という考え方です。
理屈としては正しいと思います。ただ、これを聞いて実際に撤退できた経営者はどれくらいいるでしょうか。
無視できないから困っているのに、無視しなさいと言われても、実行のしようがありませんよね。
しかも判断の場では、サンクコスト以外のものが同時に混ざります。立ち上げた人への配慮。もう少しで化けるという期待。自分の判断を否定したくない気持ち。対外的なメンツ。
これらが混ざり合って動けなくなる状態は、現状維持バイアスとして別の記事に書きました。
だからこそ、意志の強さに頼らない方法が必要になります。混ざっているものを分けて、判断が歪む場面を先に減らしておく方法です。
正論が届かない理由は、もうひとつあります。
事業を立ち上げるとき、人は自分の仮説と構想をそこへ落とし込みます。誰を採るか、いくら投じるか、どう組み立てるか。つまり、その事業は自分の考えを形にしたものなのです。
撤退して失敗を確定させるのは、自分の見立てが外れたと認めることです。ここは理屈の話ではなく、感情面の話になってきます。
やめれば失敗が確定する。続けているうちは、まだ挑戦の途中でいられます。
この差は大きいと思います。続けているほうが、その瞬間だけは楽だからです。
ただし、現場からは違うものが見えています。
いつまで続けるのか。赤字はどこまで膨らむのか。厳しい状況は、口に出さなくても伝わっているものです。
混ざったものを分ける3つの質問
今、続けるか迷っている事業をひとつ思い浮かべてみてください。
そのうえで、次の3つを順番に問いかけてみましょう。
- 1
今日ゼロから始めるとしたら、この事業を始めるか
これまでの投資が一切なかったと仮定して、今の情報だけで考えてみます。始めないと感じたなら、続けている理由は事業の見込みではなく、投じた額にあるのかもしれません。
- 2
続ける理由は、事業として正しいからか、誰かの顔を立てるためか
この2つは、紙に分けて書き出してみます。頭のなかで考えているだけだと、どちらの理由で続けているのか自分でも分からなくなるからです。
- 3
この事業をやめたとき、本当に価値がゼロになるものはどれか
設備は売れるか。人は別の部署へ移せるか。得た知見は次に使えるか。転用できるものを差し引いてみると、失うものは想像より小さいことがあります。
3つ目は、とくに見落とされやすい質問だと思います。
やめる判断が重く感じるのは、失うものを実際より大きく見積もっているからです。書き出して差し引いてみると、判断の重さが変わってきます。
あわせて、時間と配分の面からも確かめてみてください。
「もう少しで黒字化できる」
このような言葉が何年も続いているなら、重く受け止めたほうがよいでしょう。
一年なら想定内かもしれません。三年、四年と続いているなら、それは見込みではなく願望になっている可能性があります。
もうひとつは、配分の問いです。今から一億円を投じられるとして、この事業に入れるのが最善でしょうか。それとも別の事業でしょうか。
別の事業のほうがリターンが高そうだと感じたなら、今の事業をどうするか、考え直すきっかけになると思います。
サンクコスト効果を防ぐ5つの対策
質問を自分に投げかけるだけでは、いざ判断の場になると、また同じ気持ちが働いてしまいます。
そこで、仕組みの面から防ぐ対策を5つ紹介します。
- 1
投じた額を判断資料から外す
稟議や会議資料に「これまでの投資額」の欄があると、どうしても判断に入り込みます。継続を検討する資料からはこの欄を外し、必要なら別紙にします。目に入らなければ、引きずられにくくなります。
- 2
追加投資は毎回、新規案件として起案し直す
「続けるかどうか」という聞き方をすると、これまでの投資が前提になってしまいます。「この金額を今から新しく投じる価値があるか」という聞き方に変えると、判断の前提が変わります。
- 3
これから出ていく額と、これから入る額だけで比べる
過去の投資額は計算に入れず、今後かかる費用と今後見込める利益だけを並べます。シンプルな方法ですが、資料を作る段階から徹底できている会社は意外と少ないと思います。
- 4
判断する人と、推進してきた人を分ける
立ち上げた本人は、続ける理由を探す立場にいます。自分の事業を畳む判断には、どうしても向きません。判定する役は別の人に任せるか、利害のない外部の目を入れます。
- 5
やめる条件は始める時点で文章にしておく
何がどうなったらやめるのか。投資がまだ小さく、冷静でいられるうちに決めておけば、いざというときに必要なのは決断ではなく確認だけになります。
5つ目の具体的な決め方は、撤退基準の3つの型としてまとめました。
1から4は、意志の強さを必要としません。資料の作り方と、誰が判断するかを変えるだけで実行できます。
サンクコストに強い人になろうとするより、サンクコストが入り込みにくい仕組みを作るほうが現実的です。
対策は始める時点で決めておく
ここまでの質問と対策は、渦中にいる人のためのものです。ただ、渦中というのはもっとも判断が歪みやすい状況でもあります。
投じた額が積み上がり、関わる人が増え、社内での位置づけも固まったあとで冷静になろうとしても、なかなか難しいものです。
いちばん効果があるのは、始める時点でやめる条件を決めておくことです。
基準が先にあれば、渦中で必要になるのは決断ではなく確認です。この違いが、判断の重さを大きく変えます。
やめる条件を先に決めておく具体的な方法は、撤退基準の3つの型としてまとめました。
まとめ:投じた額は判断の材料にしない
- 1
サンクコストは、これから何を選んでも回収できない費用
過去のものであり、もう動かせない。判断の材料にすべきなのは、これから変わる機会費用。
- 2
投じた額が大きいほど、やめられなくなる
アークスとブルーマーの研究では、同じ席でも定価で買った人のほうが約25%多く通った。判断を動かしたのは価値ではなく支払額。
- 3
経営では、桁・不可逆性・利害関係者の3つで重くなる
とくに人との関係は、金額のようにゼロベースで議論できない。撤退の話が事業の話にならない原因はここにある。
- 4
無視すればいい、では解決しない
混ざったものを分ける質問と、仕組みで防ぐ対策を使う。いちばん効くのは、始める時点でやめる条件を決めておくこと。
投じた額は、もう戻りません。
戻らないものを取り戻そうとするうちに、次のチャンスに回せるはずの時間と資金が減っていきます。
今抱えている事業のうち、やめる条件が文章になっているものはいくつあるでしょうか。この機会に、一度確かめてみてください。

