意思決定の質
事業撤退の基準はいつ作るか|やめる条件は始める前に作るべき理由
事業を撤退する決断を下すのは、どんな経営者であっても難しいものです。
見込みのない事業をズルズルと続けてしまい、傷口を広げてしまう。そんな経験をした経営者は本当に多いと思います。
なぜ、撤退の決断がこれほどまでに難しいのか。
その理由が今回のテーマにもなっている「撤退基準」です。撤退が難しいのは、たいてい撤退基準がないからです。
赤字が続いている。現場からも疑問の声が出ている。それでも会議は「もう少し様子を見よう」で終わる。
なにをもって「もう少し」なのか。誰も答えられないまま、次の四半期が過ぎていきます。
この記事では、撤退基準の作り方を3つの型に分けて解説します。あわせて、作った基準が守られない理由と、機能させるための運用方法も紹介します。
撤退基準を持っている会社は14.6%
まず、基準を持っている会社がどれだけあるか調べてみました。
新規事業支援を手がけるunlockが41社に行った調査では、撤退基準があると答えた企業は6社。たったの14.6%でした。
設けていない企業は63%。しかも基準がない企業のうち51%が、基準がなくて困った場面を経験したと答えています。
小規模な調査ですが、参考になる点はあります。数字そのものより構図に着目してみると面白いことがわかります。
大半の会社に基準がなく、その半数が「ないこと」で実際に困った場面を経験している。それでも、作られないまま放置されてしまう。このような不思議な現象が起きています。
一方で、撤退の場面そのものは珍しくありません。
アビームコンサルティングが2023年に620名へ行った調査では、ローンチに至った新規事業の半数以上が黒字化を達成できていません。
撤退は特別なことではなく、半数以上の事業がいずれ通る道です。
撤退基準がなくて困った場面を経験している。これが多くの会社の実情です。
なぜ基準は渦中では作れないのか
基準づくりが後回しになる理由は、立ち上げ時の空気にあります。
始める前に撤退の話を出すと、水を差す発言として扱われます。場合によっては空気が悪くなります。気まずい雰囲気を味わいたくないので、立場の弱い人は口をつぐんでしまうでしょう。
さらに、事業を立ち上げたのが経営者や社内で影響力のある人だと、誰も口を挟めません。結果、基準がないまま事業がスタートすることになります。
では、赤字が出てから基準を作ればいいかというと、今度は別の力が働きます。
ここまで投じた金額。立ち上げた人の立場。もう少しで化けるかもしれないという期待。判断の材料に、事業の中身と関係のないものが混ざり始めます。
渦中で作る基準は、続ける理由を正当化する方向に歪みます。線を引く位置が、そのときの感情で動くからです。
やめるべきだと分かっていても動けなくなる心理は、現状維持バイアスとして別の記事に書きました。
撤退基準は始める前に作らないと、正常な判断が下せなくなります。
感情優先で重要な意思決定をしないために、未来の自分を守るために撤退基準を決めておくべきなのです。
撤退基準は3つの型で作る
撤退基準を作る際に、ポイントとなる型が3つあります。
ひとつに絞らず、組み合わせて使っていきましょう。
数値で切る
累積損失の上限、営業利益率、貢献利益のどれかで撤退の基準を作る方法です。いちばん分かりやすい型だと思います。
たとえば「累積損失が初期投資の1.5倍に達したら撤退を協議する」「3期連続で貢献利益がマイナスなら事業を畳む」のような作り方です。
ここで決めておくべきなのは、達成したい目標ではなく「割り込んだらやめる」という下限の数値です。目標は状況に応じて上下しますが、撤退基準は動かさない前提で数値を決めるのです。
期限で切る
数字の良し悪しにかかわらず、期限が来たら判断のテーブルに載せる方法です。
サイバーエージェントは「2四半期連続で減収減益になった事業は撤退か責任者交代を検討する」という基準を公表しています。
期限で切る利点は、終わりのない「もう少し」に区切りが入ることです。延長するにしても、なんとなくの継続ではなく、延長という決断を下すことになります。
「なんとなく」でズルズルと赤字が続く状況を回避できるようになります。
出来事で切る
前提が崩れたら数字を待たずに判断する、という方法です。
主要顧客の離脱。キーパーソンの退職。頼みにしていた規制や技術の変化。事業計画の前提にしていた条件を先に書き出しておき、それが崩れた時点で事業の見直しを始めます。
数値と期限だけの基準には抜け道があります。「まだ数字は範囲内だから」と、前提の崩壊から目をそらせてしまうのです。この型があることで、その抜け道を塞ぐことができます。
国の指針にも撤退の物差しがある
参考までに、大企業向けには国の指針が存在します。
経済産業省が2020年に出した事業再編実務指針では、事業ごとの資本収益性(ROIC)と成長性の2軸で事業を仕分け、どちらも低い事業は撤退や売却の検討対象とされています。
上場企業向けの指針なので、中小企業がそのまま使うものではありません。
ただ「感覚ではなく、決めた2つの軸で機械的に仕分ける」という考え方は、規模を問わず借りられます。軸を先に決めてしまえば、個別の事業への思い入れが入り込む余地が減ります。
決めた基準が守られない理由
ここまでで基準は作れます。しかし、作った基準がそのまま実行される保証はありません。
よくある壊れ方は、例外です。基準に達したのに「今回は特別な事情がある」と協議が流れる。
事情は毎回あります。大型案件の商談中だから。担当役員が立ち上げた事業だから。ここでやめたら、今までの投資が全部無駄になる気がするから。
例外を一度認めると、基準は参考値に格下げされます。以後、線を越えても誰も止まりません。
基準が壊れるのは、作りが甘いからではなく、守る仕組みがないからです。
撤退が上手い経営者は何が違うのか
基準を定めている会社は14.6%だと書きました。では、事前に撤退基準を定めている側からは、どう見えているのでしょうか。
私が知っている経営者に、撤退がとてもうまい方がいました。年商数十億の企業を率いていて、その分野では名前の知られた人です。
この方は、いろいろな事業に手を出していました。相乗効果が生めそうだと思えば積極的に試す。ところが引くのも早い。だめだと思ったらすぐ畳みます。
その人から、上手な撤退方法を聞いたことはありません。今は故人となっており、もう直接話を聞く機会もありません。
ただ、その人が以前話していた印象的な言葉があります。
自分だってたくさん失敗している。失敗するのが当たり前じゃないか。
事業をスタートするときに、すでに失敗を織り込んで入っているのです。
もちろん、成功させるつもりで事業を始めている。そのうえで、最悪の場合どこまでの損失で収まるかを見積もっている。そして、そのラインに達したら畳む。
撤退が上手い人は、決断力があるのではありません。入る前に失敗の形を想像して、そこに「具体的な基準」を設けているだけです。
うまくいけばそのまま伸ばす。想定の範囲内で失敗したら、潔く切る。撤退の決断力は、その準備からきているのです。
基準を機能させる3つの運用
- 1
文書にして複数人で持つ
頭のなかの基準は感情で上書きされます。書面にして、役員会なり顧問なり、自分以外の誰かと共有しておく。見ている人がいるだけで、例外は出しにくくなります。
- 2
推進する人と判断する人を分ける
事業を率いる本人に撤退判断を委ねるのは、構造的に無理があります。推進者は続ける理由を探す役割だからです。基準に達したかどうかを判定する役は、別の人に任せます。
- 3
基準の見直しは決まった時期にだけ行う
前提が変われば基準も変わります。ただし変更は決算後など定時に限る。渦中の変更は、ほぼ例外づくりと同じものになります。
この運用を社内だけで完結させるのが難しいなら、判断を検証する相手を外に持つ方法があります。
撤退は失敗ではなく成功の手がかり
撤退を「失敗」と呼ぶか「成功の手がかり」と呼ぶか。この言葉づかいだけで、決断のしやすさは変わります。
失敗だと考えると、認めるまでに時間がかかります。成功の手がかりのひとつだと考えれば、次へ移るだけの話になります。
そして実際、事業はそういうものです。十試して残るのはひとつあるかどうか。九つは形にならないまま終わります。
だとすれば、必要なのは一発で当てることではありません。試して、だめなら畳んで、立て直してまた試す。この回転を何度できるかです。
だいたい最初のシュートは入りません。何度も蹴るうちに、入る確率が上がっていきます。事業も同じで、回数を重ねるほど成功の確度は高くなっていきます。
撤退できないと、次のチャレンジに進めません。撤退基準は、挑戦の回数を確保するための道具です。
畳むことを覚えた経営者だけが、次のチャレンジに進めるのです。
まとめ:基準は続けるためにある
- 1
基準を持つ会社は14.6%
63%が持たず、その半数が困った経験をしている。必要だと分かっていながら、後回しにされ続けるのが撤退基準。
- 2
基準は始める前にしか書けない
渦中では投じた額と人の立場が判断に混ざり、基準が感情で動く。冷静なうちに決めておくことで、未来の自分を守る。
- 3
型は数値・期限・出来事の3つ
下限を割ったら、期限が来たら、前提が崩れたら。組み合わせて使い、達したら協議を始めると決めておく。
- 4
守る仕組みまでが基準
文書化して共有し、推進者と判断者を分け、見直しは定時に限る。例外を一度許すと基準は参考値になる。
撤退基準は、事業を殺すための道具ではありません。
見込みのない事業を畳めるからこそ、別の事業に資源を投下できます。挑戦の回数を増やすための道具です。
いま動いている事業のうち、やめる条件が文章になっているものはいくつあるでしょうか。その数が、次の挑戦に踏み切れるかどうかを左右します。
この機会に事業の撤退基準を見直してみてください。

