意思決定の質
経営に「引き算」を──やらないことを決めるほど判断の精度は上がる
経営者は、放っておくと足し算ばかりしてしまうものです。
売上を足す。施策を足す。人を足す。タスクを足す。
「あれもやらなければ、これもやらなければ」と、やることは際限なく増えていきます。
もちろん、成長のために足すこと自体は必要です。ただ、足し算だけを続けていると、あるとき頭のなかがいっぱいになってしまいます。
そして、増えすぎた選択肢とタスクのなかで、意思決定の精度が少しずつ落ちていきます。
この記事でお伝えしたいのは、その逆の発想です。経営に「引き算」を取り入れるという考え方について、なぜ必要なのか、どう実践するのかを解説します。
やらないことを決めるほど、判断の精度は上がり、損失は防ぎやすくなります。
経営は放っておくと足し算に傾く
そもそも人間は、放っておくと足し算をする生き物です。成果を出そうとするほど、「あれもこれも」と手を広げてしまいます。
これは、組織を動かす以上どうしても避けられない性質です。
そこに、AIの普及が追い打ちをかけます。聞けば答えが返ってきて、調べれば選択肢が増えていきます。
便利な反面、情報は増える一方で、頭のなかは足し算だらけになりやすくなります。
足し算が増えれば、思考のノイズが増えます。ノイズが増えれば、何が重要で何が不要かの判断が鈍ります。
こうして、忙しく動いているのに成果が出ない、という状態に陥っていきます。
損失はやめられないことから生まれる
経営の損失は、大きな失敗から生まれるとは限りません。多くの場合、不要な足し算を引き算できないことから少しずつ膨らんでいきます。
わかりやすい例がサンクコスト(すでに支払って回収できない費用)です。投じた資金や時間が惜しくて、撤退したほうがいい事業をやめられなくなります。
構造的に黒字化が難しいと気づいていても、「ここまでやったのだから」と続けてしまいます。そうして赤字が積み上がります。
サンクコストが判断にどう入り込むのかは、サンクコストとはの記事で詳しく解説しています。
相談相手がいない経営者ほど、気づかないまま続けてしまいやすいものです。
ここで、ひとつ前提を共有させてください。仕事には大きく4つの領域があると言われています。設計・意思決定・委任・実行の4つです。
多くの人は「実行」に目が向きます。ただ、損失の大きさを決めているのは、その手前の「何をやるか」だと思います。
そもそも黒字化が難しい設計のまま、いくら実行を頑張っても、努力が報われることはありません。
だからこそ、上流で「何をやらないか」を引き算しておくことの効果が大きいのです。
実行を増やす前に、設計と意思決定の段階で余計なものを削っておく。ここが、損失を防ぐいちばんの効きどころになります。
やらないと決めるほうが後で直すより安く済む
引き算の価値は、見えにくいものです。売上増という足し算の成果と違い、「損失を防いだ」という成果は、起きなかった分だけ実感しづらいからです。
ただ、これは予防医療と同じだと思います。病気になってから治すより、原因を減らして病気を防ぐほうが、費用ははるかに小さく済みます。
問題が起きてから火消しをするのは、未然に防ぐよりずっと高くつきます。
品質管理の世界には「1:10:100の法則」という経験則があります。
不具合を予防するのに1のコストで済むものが、修正には10、顧客に届いてからの対応には100かかる、という考え方です。
正確な倍率は分野によって変わります。ただ、早く手を打つほど安く済み、放置するほど高くつくという傾向は、経営の損失にもそのまま当てはまります。
経営の判断ミスは、思っている以上に高くつくことがあります。しかもその損失は、気づかないうちに膨らんでいきます。
だから、増やす前に引く。これは守りの発想であり、経営における予防そのものだと考えています。
成果の大半はごく一部の行動から生まれる
引き算が効くのには、はっきりした根拠があります。成果を生む行動は、実はごくわずかだからです。
パレートの法則では、2割の行動が8割の成果を生むと言われます。私の体感では、もっと偏っています。
本当に中核になる行動は、全体の1割、場合によっては5%程度しかないと感じています。
だとすれば、やるべきことは明確です。その中核にリソースを集中させることです。
そのためには、成果に結びつかない残りの大半をやらないと決めます。引き算をしなければ、いちばん大事な一手にリソースが回りません。
「やめる」を決められるのは経営者だけ
ここに、経営者ならではの役割があります。組織は、放っておけば足し算が膨らんでいきます。
現場は目の前の業務を足していきますし、それぞれの立場で「これも必要」と積み上がっていきます。
その流れのなかで、「これはやらない」と決められる人は、組織にひとりしかいません。
経営者だけが、全体を見て不要なものを削ぎ落とす決定を下せます。
裏を返せば、経営者が引き算をしなければ、誰も引き算をしません。
足し算は勝手に進みますが、引き算は意思を持って決めなければ起きません。
現場から「やめましょう」という声は、まず上がってきません。上の判断に逆らったように見えるからです。
だから、やめる判断は上の人が口にする必要があります。「それは本当にやる必要があるのか」と聞けるのは、経営者です。
「やらないことリスト」の作り方
では、引き算をどう実践すればいいのか。私がおすすめしているのは「やらないことリスト」を持つことです。
やることリストを作る人は多いですが、やらないことリストを作る人はあまりいないと思います。
「うちの経営では、これはやらない」と明文化しておくだけで、余計な足し算に流されなくなります。
考え方は、商品開発のコンセプトづくりに近いものです。コンセプトを決めるのは、そこから外れたことをやらないためです。
進む方向を一つ定めれば、そこからずれる選択肢を自動的に捨てられます。コンセプトとは、引き算の指針そのものなのです。
参考までに、私が自分の事業で決めているやらないことを挙げます。
競争しないで済む事業を選ぶ。人を多く雇わないと回らない事業はやらない。初期費用や固定費が大きい事業はやらない。
利益率の低い事業、一度きりで終わる事業、自分の強みが生かせない領域の事業もやりません。人を傷つける事業は、どれだけ儲かってもやりません。
やらないことを決めると、やることのほうがはっきり見えてきます。
- 1
やめたいこと・気が重いことをまず全部書き出す
きれいに整理しようとしなくて大丈夫です。いま抱えている業務や案件、付き合いのなかで、気が重いもの、成果につながっていないものを思いつくだけ書き出してみます。
- 2
「成果に直結する中核」を見極める
書き出したなかで、本当に成果を生んでいるのはどれか。全体の1〜2割程度のはずです。ここにリソースを集中させると決めます。
- 3
中核以外から、やめるものを選ぶ
中核でないものを「やめる」「減らす」「人に任せる」に振り分けます。とくに「何としてもやめる」と決めたものは、やらないことリストに書き出しておきます。
- 4
経営の方針(コンセプト)を一つ定める
「この方向に進む」という枠を決めます。枠から外れる新しい足し算が来たときに、断る基準として使えます。判断のたびに迷わなくなります。
頭のなかの贅肉を削ぎ落とし、スッキリさせた状態で引き算をします。
すると、業務全体のリソース配分に選択と集中が効き、意思決定の精度も上がります。
業績にもプラスに働き、損失も回避しやすくなります。引き算は、この好循環の起点です。
引き算のなかでいちばん重いのは、事業そのものをやめる判断です。この点は撤退基準の作り方として別の記事で解説しています。
まとめ:やらないことを決めると判断の精度が上がる
経営は、放っておけば足し算に傾きます。人間の性質もAI時代の環境も、すべてが足す方向に働きます。
だからこそ、意思を持って引くことに価値があります。
やらないことを決めるほど、中核にリソースが集まり、判断の精度が上がります。それは損失を未然に防ぐ、経営の予防でもあります。
そして、その引き算を決められるのは、経営者ただ一人です。
ただし、頭のなかがノイズだらけだと、何を引くべきかの判断そのものが鈍ってしまいます。
まずは思考の贅肉を削ぎ落として、頭のなかを整理すること。
そのうえで引き算をしていくことが、意思決定の精度を取り戻す近道になります。まずは、やらないことをひとつ決めるところから始めてみてください。

