ESSAY
正直、会社の理念やビジョンより「嫌な上司」のことで頭がいっぱいだった
経営者と現場の従業員では、大事にしているものがまるで違う。
経営者は、会社の理念やビジョンに共感してほしいと願っている。同じ方向を向いて、同じ価値観で働いてくれる仲間がほしい。
一方で現場の従業員が気にしているのは、もっと足元のことだ。
目の前の人間関係。とくに、上司との関係をなんとかしたいと思っている。
ここが崩れていると、理念もビジョンもまったく耳に入ってこない。
理念やビジョンはたしかに大事
まず断っておくと、企業理念やビジョンが不要だと言いたいわけではない。
むしろ、長く会社を経営していくうえで必要なものだと思う。
従業員は長く働くことを前提に入社してくる。だからこそ、働く会社がどの方向を向いて進んでいるのかを知りたい。
どこへ向かっているのか分からない会社に、人は長くいたいとは思わない。
この会社にいることで、自分はどれだけ成長できるのか。どんなキャリアを積めるのか。どんなチャレンジができるのか。
それが見えないと、優秀な人ほど不安になる。だから理念やビジョンは重要だ。それは間違いない。
ただ、である。従業員の視点で見たとき、理念やビジョンよりも重要度が高いものがいくつか存在する。
理念より給与や人間関係
まず、給与や待遇だ。
当然の話だが、人は生活していかなければいけない。
どれだけ立派な理念を掲げても「では給料なしで働けますか」と言われて、頷ける人はいない。
「給料半分でどうですか」でも同じだ。理念への共感は、給与という土台の上にしか成り立たない。
そして、その給与や待遇という土台があっても「これが崩れると会社にいられなくなる」という致命的な要素がある。
人間関係だ。とくに上司との関係があたえるインパクトはすさまじい。
なぜ上司との関係がそこまで重いのか。上司は、部下の社内評価を握っているからだ。ボーナス、昇給、昇進。これらに上司の評価が直接影響する。
ある意味で、部下の社内での立場を大きく左右する存在といえる。
上司と感情的に対立してしまうと、出世や昇給への道が閉ざされてしまうわけだ。
「人間だもの」で片づけられない評価の偏り
昨今はパワハラやセクハラへの意識も高まり、上司の立場が一方的に強いとは言えなくなってきた。
しかし構造として、上司が部下の昇進や昇給に多大な影響を与えるのは、依然として事実だ。
そして、上司も人間である。
実績が同じくらいの「好きな部下」と「嫌いな部下」がいた場合、どちらを高く評価するか。残念ながら、好きな部下だ。
これは「人間だもの」という話でもある。
どれだけ合理的で公正な判断ができる人でも、好き嫌いの感情が1%も入らずに意思決定できるかと問われれば、答えはノーだろう。
感情の振れ幅が大きい人も、小さい人もいる。しかし、ゼロにはならない。結局、人間は感情の生き物なのだから。
そのため上司と人間関係がこじれると、社内は一気に居心地の悪い場所になる。心理的な安全が確保できなくなるのだ。
私自身が退職を考えるところまで追い込まれた
これは、私自身が昨年まさに直面していたことだ。直属の上司と、本当に馬が合わなかった。
やり取りのたびにストレスがたまる。同じ空間にいるだけで消耗する。仕事の中身以前に、人間関係で体力を使い果たしていた。
正直、退職も考えた。
ただ、馬の合わない上司がいるというのは、どの職場でも起こり得ることだ。だから、限界まで粘ってみようと思った。できることはやろう、と。
最終的に、状況は落ち着いた。チームを分けてもらうことで事なきを得たのだ。
その上司と直接やり取りする機会がなくなっただけで、ストレスが大きく緩和された。
環境をひとつ変えるだけで、ここまで変わるのか。そう実感した出来事だった。
裏を返せば、人間関係が与える影響がそれだけ大きいということだ。
人間関係が崩れた社員にビジョンは届かない
この人間関係が崩れている状況で、会社から「理念だ」「ビジョンだ」と言われても、正直それどころではない。
経営者は会社の方向性を見ている。長期的にここを目指す、短期的にここを達成する。そういう視点で動いている。
しかし社員は、そこよりも今目の前にある人間関係に神経をすり減らしている。
繰り返すが、ビジョンや理念の重要度が低いと言いたいわけではない。大事なものだ。
ビジョンがないという理由で会社を辞める人はほぼいない。しかし、人間関係が悪くて辞める人は山ほどいる。
この事実が、どちらが従業員により強い影響を与えているかをはっきり物語っている。
従業員に長く働いてもらい、パフォーマンスを発揮してもらいたい。
そう考えているなら、企業理念を語る前に、まず現場の空気と働きやすさを点検すべきだと思う。
理念そのものを浸透させる手順は、経営コラムのほうに書いた。
現場の人間関係は経営者から一番見えにくい
ここで、厄介な問題がある。現場の人間関係の問題は、経営者から最も見えにくい。
中間管理職は、社長にいい顔をする。自分の評価が下がるような話をわざわざしない。
自分のチームで起こっている問題を上に報告しないケースも多い。
だから経営者目線では「現場で問題が起きている」という判断が、なかなかつかない。
ということは、だ。現場の声を吸い上げる仕組みを意図的に作らない限り、経営者のもとに本当の情報は届かない。
たとえば、部下が上司を評価できる仕組みなどだ。
上司と部下が双方向で評価し合う仕組みを取り入れている企業も実際にある。
こういう仕組みがあると、上司の側も気を抜けなくなる。部下への対応をおろそかにできない。人間関係を円滑に保つ努力をせざるを得なくなる。
もし、こうした仕組みがまったくなかったらどうなるか。
横暴なタイプの上司が、権力を笠に着る。気に入らない部下を排除しようとする。出世の道を絶とうとする。
活躍できないよう意地悪をする。世の中は、すでにこういう話であふれている。
だから「自分の会社でも、それが起きているかもしれない」という前提で考えたほうがいい。
理念を語る前に足元を点検してほしい
経営者は、理念やビジョンを達成するために会社を経営している。叶えたいものがあるから、経営している。
だから、その理念に共感してほしい、同じ価値観の人と働きたい。その気持ちは痛いほど分かる。
ただ、現場の従業員は、そうは言っても目先の人間関係で手一杯なのだ。
立派なビジョンを掲げる前に、まず足元を見てほしい。
現場の人間関係は健全か。上司の評価は公正に機能しているか。本音を吸い上げる通り道はあるか。
そこが崩れていたら、どんなに崇高な理念も現場には響かない。
理念は、働きやすい現場という土台があって初めて力を持つ。その順番を間違えないでほしい。

