ESSAY
経営者は市場とAIを見て、現場は今日の業務量を見ている
経営者と現場では、見ている世界がまるで違う。
経営者が見ているのは、顧客・市場・競合だ。
どうすれば、顧客の心をつかみ、競合を押しのけて市場のシェアを獲得していけるのか。その勝ち残るための戦略を日々考えている。
そして、今まさに市場を激変させているAI。どのようにAIを自社に導入していくか頭を悩ませている。
一方、現場の従業員が見ているのは、今日の業務量だ。目の前のタスク、増える負荷、覚え直しの手間。
この2つの視界は、ほとんど重なっていない。
とくにAIやDXの導入をめぐって、このギャップは大きな溝になっている。
経営者が市場とAIに向ける危機感
経営者は市場を見て戦略を立てる。
競合を分析し、利益を出し続けるためにポジショニングを考え、プロダクトを磨く。
市場が変化すれば、それに合わせて戦略も変えていく。
そして今、市場に最大級のインパクトを与えているのがAIだ。どのマーケットにとっても、もはや無視できない存在になっている。
驚くべきなのは、AIエージェントがある程度自動で業務を進めてくれるところまで進化したことだ。
届いたメールに自動で返信する。勝手に調べ、クリエイティブを生成し、業務を効率化していく。
DXという言葉が叫ばれ、どの会社も「どうAIを導入して効率化するか」を問われている。
経営者には強い危機意識がある。乗り遅れたら市場から取り残される。だから前のめりになる。
この感覚自体は正しいと思う。これからの時代、AIをうまく使えなければ生産性で差をつけられる。
しかし、だ。ここで現場との温度差が生まれる。
現場の本音は「業務を増やさないでくれ」
経営者が「AIで変革だ」と旗を振る。そのとき現場の従業員が感じるのは、期待ではない。
「また業務が増えるのか」だ。
本音を言えば、今の業務だけで手一杯なのだ。そこに新しいことが乗ってくれば、新しいツールの使い方を覚え直さなければいけない。
それは、面倒だ。だから抵抗感が生まれる。
私の会社でも、この傾向は本当に強い。新しいことをやりたがらない人が驚くほど多い。
なにかを提案すると、すぐにこう返ってくる。
「それ、失敗したらどうするの」「予算はどうするの」「具体的にどれくらい効率化できるの」「そんなところにリソース割けないよ」
本当にいいものであれば、予算をかけてでもやるべきだと思う。リターンが大きく、リスクを許容できるなら挑戦すべきだ。
しかし、そういう判断以前に「お金がかかるからやらない」「手間がかかるからやらない」で止まってしまう。
あきらかに非効率だと分かっていることでも「今までこれでやってきたから」という理由で放置される。
なぜ現場はAIを自分ごとにできないのか
ここで、現場を一方的に責めるのはフェアではない。現場がAIに及び腰なのには理由がある。
そもそも、触ったことがないのだ。
「AI!AI!」と言われても「なんだそれは」というのが現場の実感だ。
最近でこそChatGPTを使う人は増えているが、仕事レベルまで落とし込んで使っている人は、まだまだ少ない。
仕事で使ってみなければ、実務レベルでどう落とし込めばいいのかも見えてこない。そして、会社の業務をこなしながらAIを触る時間なんて、多くの人にはない。
私の場合は副業をやっているおかげで、積極的にAIを触っている。だから使い方もある程度は分かる。
しかし、そういう動機がなければ、わざわざ自分から触ろうとはしないと思う。
触らないから、分からない。分からないから、どう効率化すればいいのかも見えない。
現場にAIで効率化するためのアイデアが乏しいのは、能力の問題ではない。触れる機会がないという構造の問題なのだ。
現場を見ずに導入すると使えないツールが生まれる
この乖離を放置したまま、トップダウンで一気にAIを導入したらどうなるか。
高い確率で、失敗する。
経営者が現場を見ずにツールを導入すると、現場が使えないツールが生まれるからだ。
上層部の視点では「理屈的にはこうすればいい」と見える。しかし、現場には現場の細かい事情がある。
人力でなんとか処理している部分、独自のルール、例外的な運用。そういうものが山ほどある。
それらを無視してAIに置き換えようとすると、現場の実態に合わない、使いづらいものができあがる。
本来は、現場の声を聞きながら何度もやり取りし、コスト面や運用を照らし合わせるべきだ。
そもそもAIでやるべきなのか、人がやるべきなのかまで精査する。そうやって長期的に使えるツールへ落とし込む。
AIをどう組み込むかは、経営層だけで判断できる話ではない。
「改善」のつもりが現場には「負荷の上乗せ」に見える
ここに、根深いすれ違いがある。
社長の視点では、AI導入は「改善」であり「変革」だ。しかし、現場からすれば「業務負荷の上乗せ」に感じてしまう。
導入までには膨大な労力がかかる。現場にとっては、あきらかな追加業務だ。
しかも現場レベルでは、導入後のメリットを実感しにくい。だから「面倒なことを増やされた」という感覚だけが残る。
さらに厄介なのが、翻訳の不在だ。
経営者が見ている戦略やロードマップは、現場の人間にはそのままでは理解できない。
日常的に、現場が分かる言葉へ翻訳して共有されていなければ伝わりようがない。
そのうえ、現場で「こうすればいいのに」というアイデアを持っている人がいても、中間管理職に安易に却下される文化があったりする。
戦略が翻訳されずに降りてくる。現場の改善案は上に上がらない。この双方向の目詰まりが、変革を難しくしている。
溝を埋めない限りDXは空回りする
これからの時代、AIによる変革は避けて通れないと思う。
DXも、評価制度も、議事録も、研修も、顧客サポートも、問い合わせ対応も。あらゆる領域にAIは入り込んでいく。
使いこなせなければ、生産性で差をつけられ、取り残される。その危機意識は正しい。
しかし、危機意識だけで旗を振っても、現場はついてこない。
経営者が「こうすればいい」と考えたものが、現場に適合するとは限らない。そこには深い溝がある。
この溝を埋める手段を持たないまま無理にプロジェクトを推進しても、結局はうまくいかない。
だからこそ、順番が大事だと思う。
現場にAIを触れる時間と機会を与える。導入の目的とメリットを現場の言葉に翻訳して伝える。
そして現場の声を吸い上げながら、一緒にツールを作っていく。
トップダウンの号令と、現場の実態。この2つを繋ぐ翻訳と対話がなければ、どんなに立派なDX戦略も空回りする。
進め方の順番そのものは、経営コラムのほうに書いた。こちらは、触る時間がない側から見えている景色の話だ。ぜひ参考にしてもらいたい。

